アコーディオン彷徨レポート
2006/10/26 - 2006/11/1

ドイツで一週間程の本業の仕事を終えて、Hamburgを早朝発ち、飛行機と汽車を乗り継いで、イタリア半島、アドリア海沿いの町Ancona駅に到着したのは1026日午後4時に近いころだった。 整然としたドイツの町並みからイタリーに入ると毎度のことながら物事の価値判断基準にはいろいろとあるものだとまず考えさせられる。 どこをみてもなんとなく雑然としている町並みや一見どこか自分勝手に見える人々の行動から、だめだなこれは、と一瞬批判的な気分に襲われるが、それでも懐かしい、あまりにも人間的な、あまりにもフェリーニ的な人々にあうとどこか懐かしさで心がいっぱいになる。 いいアコにめぐり合うためにさ迷い歩く一人旅の始まりだ。

まずはSuoni社のMirco Patarini取締役に駅まで出迎えてもらい、久しぶりの再会を喜び合う。 Scandalli、 Paolo Soprani、 SEMブランドを製造する同社は景気のほうはまぁまぁのようだ。 先月開催されたCastelfidardoのアココンペには東欧やバルカンからバスを仕立てて団体客があり、各メーカーに押しよせ、ありったけのアコを買いあさってかえった模様で、各アコメーカーにとっては年に一度の恵みの雨といった感がある。 製品はBajanConservatorioシリーズ(フリーベース)などの高級品の売れ行きが順調の様子だった。 その分野での競合はBugariPiginiらしい。 Castelfidardoのアコメーカーは相変わらず同士討ちを続けている様子だ。 MIDIアコのSEM CIAOは相変わらず好評とのことだった。 最近はScandalliのフリーベースのConcervatorioシリーズのご注文などもいただいているので、Scandalliとしては日本でもっとConservatorioシリーズを広めたい意向のようだったが、日本では音大でさえアコーディオン科が無い現状で、日本ではフリーベースの市場が欧米ほど育っていないと説明しておいた。 だが、今後、日本でも若いチャレンジャーが出現することを期待したい。 ヨーロッパ、東欧、バルカン、北欧、ロシアを中心にフリーベースのConservatorioシリーズは根強い人気と需要があるようだ。 日本でもフリーベース奏者の育成がアコーディオンをきちんとした楽器として認識してもらい、アコ文化の広がりにつながっていくような気がします。 

翌日はドイツを中心に高級品市場で根強い人気のBorsini社を訪問した。 同社のオーナーの一人でマーケティング担当のGian Garlo Borsini社長と彼の弟で製造担当のVincenzo Borsini氏に工場と製品の案内をしてもらう。 Vincenzo氏はアコ演奏の名手でもある。 一時のアコブームが去って、他のアコメーカー同様こちらも規模縮小、高級品に特化して生き残りをかけている様子だった。 一時は数百人を数えた従業員も今では十数人まで減らして少数精鋭、高級品製造へ特化している。 同社は米国にはBellのブランドでのOEMビジネスもあるようだ。 後継者問題は他社同様深刻だが、現在再生をかけて、ある「秘策」を練っている最中とのことだった。 昼食に誘っていただき、レストランに入るとそこにはかつて同社で50年以上にわたりアコの調律をしてきた81歳になるSocrate Cipolletti氏がいた。 今は同社を定年で退職しているが、まさにアコ調律の神様ともいわれている人物だ。 他社からの引き抜きの誘いもすべて断りBorsini社だけに仕えた忠臣だ。 同氏ともテーブルを一緒にできたのは幸運だった。 茶目っ気たっぷりで、色っぽい冗談も連発するこの紳士は実は数年前に娘さんに先立たれ、ここ2年近くは自室にこもりっきりだったらしい。 これを気遣ったG.C. Borsini社長は毎週のようにCipolletti氏を食事に誘ったが、これまで一度も応じてもらえなかった。 この日は、やっとのことで、彼にこれに応じてもらったその初日だったのだ。 Cipolletti氏の冗談に涙がでるほどわらわされたので、さぞかし愉快な人なのだろうと思っていたが、日曜日に通りでバラの花束を持った彼に偶然会ったときは「これから娘の墓参りにいく…..」と、とても悲しそうな目をしていた。 まだ、心の傷が癒えていないのだ。 そんな彼の口から別れ際に「幸せにね!」なんてやさしい笑顔でいわれて、こちらも思わず、もらい泣きしそうになってしまった。 彼の茶目っ気のある笑顔が戻るのはいつの日なのだろうか。

さて、今30社弱あるといわれるCastelfidardoのアコメーカーの中でも日本に紹介されていなかった最大手がこのBorsini社であろう。今後の「秘策」に注目したい。 製品としては鍵盤が細めでコンパクトタイプのアコが欧州では人気で、現在はコンパクトタイプが主流となっているとの情報。 41鍵・120ベースの標準サイズにこだわっているのは日本だけかも知れない。 大柄な人が多いヨーロッパでもコンパクトサイズのアコがトレンディーらしいのだ。 実際に41鍵・120ベースでチャンバー付きでもコンパクトタイプはかなりとり回ししやすい。 通常サイズの41鍵・120ベースのサイズで45鍵チャンバーアコが入手できるのはすばらしい。 どれも高級リード付きで音色・弾き心地とも申し分ない。 ドイツを中心に人気があるとの情報は確かなもののようだと理解できたので、早速、現場で数台注文してしまった。 11月中には皆様に触っていただけるようになる予定です。 同社のアコのボディは基本的には塗装仕上げを採用していた。 セルロイドに対する規制もあるが、音色に対するこだわりもあるとの説明だった。 土曜日の昼もBorsini氏の招待で昼食をご馳走になってしまったが、その前に彼の孫達2人を学校に迎えにいくのに付き合った。 Castelfidardoの丘から海岸に向かってまっすぐ下ると美しい浜辺のあるNomanaという海辺の町に到着する。 そこに彼の孫たちの通う小学校があるのだ。 12歳の坊やと9歳の女の子はママが南チロルの人なので、母国語がドイツ語。 一見こわもてのBorsini社長もこのときばかりは世界共通のおじいちゃん顔になっている。 彼のお孫さんたちともドイツ語で楽しく会話できて心の和む土曜日だった。 

昼食時の話題はいろいろとあったが、彼の情報からは、ピークではCastelfidardo5000人を数えたアコ関係の労働者も今では合計400人を切る程度まで下がっており、アコ産業自体がすでに「歴史的な」産業であって、町の主たる産業ではなくなっているとのこと。 当時は近隣の村々からバスで大勢の労働者が毎日アコメーカー各社に勤めにきていた。 町の中心地は人々でごった返していた。 今は、町の郊外にできた工業団地に、アコ製造に必要だった木工や金属加工技術を生かして、かつてのアコメーカーないしその従業員だった人はあらたに事業を起こしており、別の分野での製造業が中心となっている。 少なくなった市場で経営に苦しいアコメーカーが生き残りをかけて泥仕合を演じている場合も少なくない。 販売店制度を取っていたメーカーも、市内に直販ショップを出したり、工場まで直接買いにくる客には直売を始めているところもいくつか出ている。 Castelfidardoの街中にはVictoriaが直営店を出し、直販を始めている。 店が閉まっているときは工場へ直接どうぞ、との貼り紙まででていた。 メーカーの台所事情を推し量れる貼り紙だが、販売店にそっぽを向かれたらどうするのだろうと危惧しても、事態はもうそれ以上に深刻のようだ。 未確認情報だが、Victoriaではすでに自社工場は売却し、その一部だけを借り受けて数人で組み立てないし、最終検査だけをしているとの情報もあった。アメリカのTitano向けのOEMビジネスが途切れたのが致命傷となっているようだ。 

土曜日の午前中には前回に引き続き新進気鋭のBeltuna社を訪問した。 アルプススタイルのアコでは業界No.1の同社だが、それ以外のモデルも当たらしい技術を導入し興味ある製品に仕上げている。 チャンバー付高級モデルのLeaderPrestigeを、ともにベンツのダッシュボードを思わせる木目のデザインのボディに包んで、それぞれ1台づつ発注した。 年末にかけて入荷が楽しみだ。 Hohner AlpinaZupanブランドのアコの製造を手がけてきた同社の独自の技術を生かしたアコは非常に興味深い。

昨年末倒産したExcelsiorのブランドと同社のルーマニア工場を破格値で買収したPigini社はかなり活気付いているらしい。おそらく現在最も忙しくマスプロ路線を驀進中なのがPigini社だろう。 米国Titano社向けOEMVictoria社からもぎ取ったらしい。 ただ、世界的にみて、アコ市場がそれほど伸びているとも思えず、そこにマスプロ優先となれば品質は当然おざなりになりかねない。 かつてマスプロ路線を取ったメーカーがことごとく砕け散っている歴史を考えるとき、このマスプロ路線がいつまで持つかは今後注目する必要があると思われる。 今はむしろ少量生産でも高級品・高品質へと向かっているアコメーカーのほうが安定した経営ができている場合も見受けられる。 これらの小規模高級品メーカーが生き残るのか、マスプロメーカーが生き残るのか、今後の動向から目を離せない。 

夕方ホテルに戻るとノルウェーとカナダからのアコディーラーがいて、彼らと情報交換ができたのはラッキーだった。 特に米国におけるアコ事情をカナダのディーラーから聞けたのは有意義だった。 ノルウェーのディーラーは50年以上にわたりZero Sette(ゼロセッテ)社の輸入代理店だ。 製品の品質・性能には定評があるが、最近は納期に問題がでていて困っているとのことだった。 このゼロセッテ社の最大の顧客はアメリカのシアトルにある「Petoza」社だ。 創業者である先代のPetoza社はZero Sette社からのOEM供給を受け、米国、カナダを中心に高級品として名高い。 現在は息子のJoe Petoza氏が後をついで米国・カナダを中心に販売中。 ただ、先代の跡継ぎ問題やアコブームの終焉などなどが重なり、Petoza社同様、製造元のZero Sette社もかなりの痛手をうけたようで、現在は再度生産体制を構築中とみた。 興味深いのは同社の当時のOEM先で日本でも知名度と評価の高いGiuliettiブランドが今では同社の自社ブランドとなっており、相変わらず海外では好評に販売されているという事実を聞かされたことだ。 かつては日本でも輸入販売され、今でも愛好者が多いと聞いているGiuliettiブランドのアコが、過去20年以上にわたって日本に入ってこなかった裏の事情はメーカーに直接きいてやっと納得できた。 アメリカのアコ産業がイタリー系移民によって広まり隆盛を迎えたが、Mr. Giulio Giuliettiもそんなイタリー系移民だ。 彼の死後Giuliettiブランドのアコの販売は大きく変化したようで、現在はその製造を一手に引き受けてきたZero Setteがそのブランドのアコを製造している。 メーカーのものづくりの現場をみて、製品を見るにつけ、これはリバイバルするに値するとの感触を得た。 来年のドイツ楽器展(20074月)以降にメーカーの態勢が再度整い次第、本格的にGiuliettiブランドの製品を紹介できたらいいなと考えました。 そのZero Sette社の社長とは日曜日ほぼ丸一日かけて情報交換などを行えたのは今回Castelfidardoのアコメーカー訪問のなかでももっとも有意義な訪問の一つだった。

宿泊したホテルの同じブロックにあるのはプロ用MIDIアコ専門メーカーのMusitech社だ。 同社のリードレスMIDIアコ「Music Maker」は、コンセプトはSEMCIAOに似ているが、音色および蛇腹の感覚がさらに磨きがかかっており、同社がプロ専用MIDIアコと宣伝するのは実際に弾いてみると体感できる。 ローランドのVアコも含めて、これまで小生がタッチしたMIDIのなかでもっともリードアコに近い感覚で演奏できるリードレスアコがこのMusic Makerだ。 今回は1台担いで帰るので、皆様にも体験していただけるようになるはずだ。

さて、今回イタリア訪問の最大の目的がBugari社における調律トレーニングだった。Bugari社は数百人を数えたピーク時の工場を維持するのに現在では十数名で戦っている最中だった。ピーク時の生産量が期待できない現在はやはり品質重視の経営方針のもと、業界ではトップの定評を享受しているように見えるが、少数精鋭でがんばっている様子だった。 幸い人材に多く恵まれ、製造、販売、品質管理と抜かりない様子だが交通事故で半身不随となってしまったArmando Bugari社長に代わり、社長代行で奮戦中のRoberto Ottavianelli氏は西に東に席の温まる暇が無い。 それでも、今回は小生のためにいろいろと手配をしてくれて、その気配りは我々がとっくに忘れてしまった気配りだ。 Bugari社ではこれまでのアコのデザインや性能を大きく変えるような開発にもチャレンジしていた。詳細は同社の発表を待つより無いが、性能と品質で他社より一歩抜きん出るという姿勢は好感が持てるし、他社も見習って、競争・競合は技術とデザインでやってもらいたい。

さて、今回、Bugari社の調律の責任者として2日間講習をしてくれた人物はAldo Recanatini氏で、同氏はかつてのScandalli社でいまでも歴史に名を残すScandalli Super VIおよび姉妹機のSettimio Soprani Artist VIの調律を長年してきた人物だ。 当時のScandalli Super VIはすべて手作りで、最高級の部材やリードを使い、調律にも完璧を期すため、一台の調律にも20時間以上かけたといわれている。 車に例えれば、普通のベンツではなくマイバッハというところだ。 さすがにいいものを作るにはいい材料以外に、時間も技術も必要なのだと改めて思い知らされる。 中学を出るかどうかで丁稚奉公から入った同氏の調律は神業に近い。 しかし、その言葉は母のように優しさにあふれている。 縮こまっている小生に「調律は簡単だよ」、「だれでもできるよ」とピノキオを作ったジュゼッペ爺さんのようにやさしく声をかけてくれる。 特に記憶に残った言葉は「情熱さえあればこの世に不可能なことは無いんだよ。」という彼の言葉だ。 「君にはパッション(情熱)があるかね?」と聞かれたとき迷わず「はい」と答えられたのも、彼の枯渇しない情熱が自分に伝わったからかもしれない。 調律のノウハウの詳細はここでは省略するが、Bugari社に2日間お世話になる間に、同社を入れ替わり訪れる世界中のディーラーの息吹を感じて、短期的な問題はどのアコメーカー同様にあるものの、このメーカーの将来はかなり明るいと感じた。 ショールームで偶然出会った、Bugariとしてはめずらしい、オール木製のミュゼットアコとこれまたオール木製の小型アコもすかさず発注した。 とくにこの2台は目の前でこの調律の鉄人Aldoに調律してもらったもので、これは本当は売りに出したくないアコの2台だ。 4リードMMMLのミュゼットアコは純正ハンドメードリードを14Centのトレモロに調律したもので、チャンバー無しだがその音色は甘く、やさしく、とろけるようだ。 オール木製クリアラッカー仕上げのボディは美しい。 ミから始まる38鍵、120ベースもうれしい。 おまけに軽いのはさらにありがたい。 もう一台の2リードMLタイプ小型オール木製ボディのアコはトレモロゼロの辛口。 5列80ベースの割り切りも小型化のため。 それでもドライで結構我の強い音をだすこのミニアコは侮れない。 これもこれまでのBugariのイメージにはない新鮮なアコだ。 早く皆様にお見せしたい。 最上位機種の288 Gold Plusのグリルがゴールドメタルグリルになったり、新たに288 Silver Plusというモデルを投入し、このグリルにはクロームメッキを施すなど、これまでのクラシック一点張りのBugariのデザインがより新しいものへ変わりつつあることも確認した。

さて、2日間の調律修行も終わりに近づいたころ、2週間近い出張の疲れも重なって、ちょっと集中力を失ったころ、調律の鉄人のAldoが「ちょっと散歩でもしてこいよ、 できたアコを弾いてもいいよ。」とやさしく声をかけてくれた。 上記の出来立てのオール木製ボディのミュゼットアコを抱えると、なぜか涙が滂沱とながれてくる。 間もなく来る、こんなにやさしい調律の鉄人との別れのことや、アコに情熱を持つさまざまな人々との出会いが走馬灯のように脳裏を走る。 里心がついたのか、なぜか「早春賦」や「ふるさと」などを弾いている自分にも気づく。 できたてのアコが涙で濡れそうになってしまい幾度となくシャツの袖で涙を拭いた。 もう、うるうるで何も見えない。 私は泣き虫なのです。 

数年前に自動車事故で半身不随となってしまった、つらいのにどこまでもやさしい笑顔のArmando Bugari社長もわざわざ調律室に小生を訪ねてくれて、ピアソラ作曲のアコ演奏のCDを一枚プレゼントしてくれた。 うれしいです。 歩行の不自由な社長に常時付いている付き人のおじさんも怖そうな顔しているわりに子供みたいに茶目っ気のある人で、この国の人たちは本当に好きにならずにはいられない。 そんな人々が情熱を傾けて作るアコ。 心に響く楽器にはわけがあるんですね。

今回の調律修行で一番のテーマにしていたのが「トレモロ」だった。 それぞれの国や市場ごとにポピュラーなトレモロがあることは知っていたが、音楽のジャンル別にもいろいろあり、さらには個人の好みもあるので、出荷される製品は同じモデルでもトレモロのセッティングひとつでまったく異なる音色になることが良くわかった。 クラシック用には4から6セントのトレモロ、ジャズやタンゴにはトレモロ無し。 クラシックミュゼットは22セントの強いトレモロだ。 イタリア語でSeccoといえばワインにも表示されている「ドライ」「辛口」のことで、確かに甘さは無い。 一方、Bugari社のアコの「売り」は伝統的に「甘さ」なのだ。 これまで日本に輸入されてきたBugari社のアコは4セントから6セントのトレモロで、Bugariのアコに特徴的なこの「甘さ」をわざわざ消して販売されてきたようだ。 甘さが売りのアコの甘さを取り除けば、パンチの効かない中途半端な音色になってもおかしくない。 Bugari社が出荷するアコの80%は14セントの甘い味のするトレモロだ。 もちろんBajanやフリーベースのConcervatorioアコはドライチューンだが、一般的なアコはほとんどが14セントの甘い香りの調律だった。 これは新鮮な情報だし、まさにメーカーの特徴が生きるトレモロセッティングだ。 逆にBrandoni社などのようにパンチの効くアコにはドライセッティングのほうが似合う場合が多いかも知れない。 今回輸入するBugari社製オール木製ミュゼットアコを弾けばBugari社本来の甘い音色を体感していただけると思う。 同社の最新型フラッグシップモデルBugari 288/Gold PlusもこれまでのGold/Silverをさらに磨き上げたかつてのGolaをしのぐ名機との評判だ。 到着が楽しみ。

Castelfidardoを発つ当日の朝、カトリックの祭日でイタリアは全国的に休日だったが、Fantini社では仕事をしていた。同社に特別発注した38鍵・120ベース、純正ハンドメードリードHMMLLMチャンバー)とボタンアコがちょうど現地で集荷された後だった。

チャンバー付き、純正ハンドメード付きのアコといえばトレモロはドライと相場が決まっているようですが、私はこれを15セントというトレモロにしてあります。 かつてのドイツKratt社へのOEMで供給していたときのトレモロだ。 これは到着が楽しみだ。 というのは、Kratt製アコがとてもいい音だからです。 そのKratt社へのOEMビジネスはほとんど終息し同社もFantiniブランドでの拡販を模索中だ。 小規模メーカーの生き残りをかけた戦いは熾烈だ。 他社と同じものを製造しても勝ち目は無い。 市場のニーズに合ったもの、他社にできないユニークなもの、など口で言うのはたやすいが、実際にはなかなか難しい。 ただ、ドイツKratt社へのOEM供給を長年続けてきた同社の製品の品質には信頼感がある。 実際に中古のKrattブランドのアコも入荷しているが、お客様の評価も高い。 実際のFantiniブランドのアコが届いてから皆様のご評価を仰ぎたい。

以下は今回イタリア滞在中に耳にした噂話なので、真否の程は未確認だが、根も葉もない話とも思えないので、ご参考まで:

Cavagnolo社はチャンバー無しモデルはもっぱらバロンブリーニ社に下請けに出している。 チャンバー付はBugariに下請け発注してきていたが、最近はぱたと止まっているとのこと。 経営は楽ではなさそうだ。

値段が高いので有名なHohnerGolaは50年代まではMr. Giovanni Gola自ら製造に携わっていたので、評価の高いGolaは当時製造のもので、これには程度にもよるがプレミアがついている。 80年から90年にかけてはBugariが下請け製造していた。 現在はオランダで木工部品を作り、これに必要なパーツはCastelfidardoで調達し、最終組立は旧東独のKlingenthalにある会社で下請け生産しているらしい。 その下のモデルのMorinoも同様に旧東独のKlingenthalで製造とくれば品質もおのずから想像が付く。 「Made in Germany」というのはそういうことだったのか、と思わずひざをたたいた。

Piermariaのアコの製造は、現在はCastelfidardoIMC社が行っている。

Victoria社は前述のように自社工場はすべて売却し、その一部を借り受け組み立て作業ないし最終調整を行っているが、製造はほとんど外注に頼っているようだ。 後継者問題も深刻らしい。

Excelsiorは今やPigini社の工場から出荷されているが、かつてのExcelsior社のルーマニア工場を買収したPigini社はExcelsiorブランドのアコだけでなく、自社ブランドのアコにも今後かなりの部品ないし組立部品には同社のルーマニア工場で製造されたものを使用するようになっていくようだ。 ルーマニア製だからといって決して悪いと決め付けることはできないが、大量生産による競争力を目指している同社が、品質をどこまでKeepできるかは大きなチャレンジだろう。 Hohner社の言う「Made in Germany」の意味とPigini社の言う「イタリア製」という言葉の意味は共通の二義性をもってくると認識しておく必要がありそうだ。 一方でこの町の人たちは、中国製アコの影が音も無く忍び寄っているように感じているようだ。 すでにドイツのHohnerは中国資本であり、30社近いCastelfidardoのアコメーカーのいずれもが苦しい経営を余儀なくされている今、中国の資本家がそれらのいくつかを買収してもなんの不思議は無い。 中国は国内にも巨大な市場を抱え、すでに拡大中の高級品嗜好に備えて、米国市場まで視野に入れてイタリアアコメーカーに食指を伸ばすことを予測することは容易い。 

それ以上に今、Castelfidardoのアコメーカーを苦しめているのはユーロ高だ。 リラがイタリアの通貨だった頃に比べて体感価格上昇率は2倍近い。当然、輸出は減り、安物が横行する。 品質も下がるという悪循環に陥る。 さらには将来性を悲観して若い労働者や後継者が育たないのも致命的だ。 オーナー会社が多いCastelfidardoのアコメーカーだが、社長の息子や娘が会社の跡を継がないのだ。

それらのどれもが米国を中心としたアコバブルが去り、バブルの後遺症に悩むCastelfidardoのアコメーカーたちの現実の姿だ。 アコバブル時にスピンアウトしたり、過大投資をした人やメーカーの見通しの悪さを後から批判するのは楽だが、バブルを好景気と勘違いしたわが国の経営者や国民の誤りを事前に指摘できた人はいなかったことを考えれば、むしろ彼らの生き残りをかけた現在の努力に精一杯のエールを送りたい。 そして、その努力のエネルギー源がアコに対する情熱なのだと知るとき、これらのアコメーカーの良い製品を求めて、できるだけ多く日本のアコファンに紹介していきたいと改めて考えた次第です。 

本業の仕事を一週間も留守にして、社員の皆さんには大変な負担をかけてしまいました。 こんな「かくも長き不在」(長期の道楽出張)を許してくれた家族にも感謝したい。 上記レポート中に万一不適切な表現があればアコへのパッションに免じてご容赦ください。
2006.11.1 イタリアCastelfidardoにて、 川井 浩)